チミとぺ日記

北海道在住のある家族のあそびや体験を記録した日記(当ブログではアフィリエイト広告を掲載しています)

冬休み最終日のスケート

冬休みも最終日となり、「冬休みにやりたいこと」残りはそう、スケートだ。

昨年、初めてスケートを体験して、楽しかったらしく今年も冬の遊びとして「やりたいこと」にエントリーされている。

午前中、頑張って残りのドリルも完了した。
行く条件は整った。

札幌市内には月寒体育館、真駒内アイスアリーナ、円山陸上競技場、美香保体育館、星置スケート場などがある。
我が家から近い美香保体育館へ行ってみた。

入館料が大人は580円、小学生は無料だ。
スケート靴のレンタルは、大人も子供も2時間300円。
今回は、札幌市のウィンタースポーツ料金助成クーポンのチラシで子供はスケート靴のレンタル料が無料だ。うれしい。
http://www.city.sapporo.jp/sports/jigyou/wintersports-coupon-ticket.html

我々両親はというと、一応滑られる。
だが急な動作はできない、というレベル。

子供は安全のためヘルメットを着用して、一年振りのスケートをしばし楽しんだ。
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ちなみにリンク内では撮影禁止。サイドからの撮影。
リンクの製氷作業は12時、14時、16時に一回15分くらい入るので来場時間には気を付けたい。

今日は冬休み最後ということもあり、親子連れで大変混雑していた。

子供が小さい子とぶつかって転んだ。相手の女の子はうちの子供より小さく、泣いてしまった。
妻がすぐそばにいたので女の子を起き上がらせ、大丈夫?と声をかける。
子供はバツが悪そうに立ちあがり、自分もおしりを打ったようで、さすっている。
大丈夫か?と声をかけると無言でリンクから上がってベンチに座る。

ぶつかって、女の子にごめんねと言えたのかと聞くと、「言った」と言う。
今まで、なかなか素直に言えない事が多いので、つい疑って、本当か?と問いただすと(これがいつもいけないのかもしれないが)「あの子が急に止まるからぶつかった。館内放送で言っている。急に止まってはいけないのに」
正論だが、自分は悪くない という正当化だけ。親に怒られたくない嫌われたくないという気持ちがそうさせるのか、正常な反応かもしれないが、あまりにも思いやりが無い。
相手を思いやる気持ちをどうやってもってもらえるか。

相手は自分より小さい子なんだから、初めて滑る子かもしれないでしょう、急に止まってしまったのかもしれない、と言ってしまった。「ルールを守らないで急に止まったからぶつかった。急に前に来たので腕前なんかわからないのに、小さいからとか関係ない」
正論すぎる。

そうじゃあない。
思いやりの話をしたい。

子供が口にするのは自分のことばかりだ。正当化して自分は悪くない、どういう事情があろうがルール
を守らない方が悪い、問答無用。自分が怒られるのは不当だ。と。

こちらにはその正当化の発言が自分勝手な思いやりの無い発言に聞こえるが、実はただ単純に、子供の正当化する主張は「お父さん、お母さん、自分は悪い子じゃないんだよ、嫌いにならないでほしい」というヘルプの心理からかもしれない。

今回はそう思い、子供が言うように、ルールを守ることは大事だ。相手にごめんねと言えたことはえらかったにと同調した。
その上で、混雑したリンクで誰にでもぶつかる可能性があり、ぶつかってしまったときに、自分の事だけでなく、相手は大丈夫だろうかと気遣う気持ちももってもらいたい、思いやりをもってほしいと伝えた。
「わかった」ふてくされているが、話はそこで終わりにした。

ぶつかったとき、すぐさま子供に「大丈夫かい?怪我はないかい?相手の子も転んで痛かっただろうね?」と聞けば良かっただろうか。
ごめんねとすぐに言えないことにも気がかりだが、言えたかどうか問いただす前に、相手がどう感じているか落ち着いて確認するべきだったか。
難しい。

ほどなくスケートは再開したが、テンションは下がり、人にぶつからないよう慎重な滑り。
足がいたくなったとのことで、1時間半ほどで上がった。

夕方、子供の髪を切り、一緒に風呂に入って、夕食の麻婆豆腐を「おいしいね」といつも通り家族で食べた。


思いやりの気持ちが無いわけではない。
困っているひとを気遣ったり、手伝いや手助けもすることができる。「えらいね」「ありがとう」そう言われることで自信や満足感を得られるようなことは、できている。

怒られないよう、正当化し、存在意義を主張する。そういうことが言葉で表現できるようになったということでもある。良く言えば成長している。

ただ、場合によっては完全な自分の過ちに対しても、言い訳が先行する。これ以上怒られないよう、嫌われないよう、存在意義を正当化するためか。
そうだとしたら子供の存在を否定しないよう意見を聞きながら、過ちのみを理解を促して正していく、ただし短時間で。
できるだろうか。冷静に。
何が正解かわからないが、あれこれ考えながら、家族で成長していかなければ、と思う、冬休み最終日だった。